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    入るなり、

    「先づそのうちには、町内の様子もいろいろお解りになることでせう。これでなかなか面倒なこともありましてな」

    「どうしなさつた」

    「脚気の方は?」

    「なるほどね」

    「これを御大典のお祝ひ日に着るんですつて」

    だが、彼等が危ぶみ、恐れ、半ば期待していたやうに、歩いて行く両側はこんなに町に人がいたかと思ふほど黒山のやうな人だかりであつた。見覚えのある顔が、真紅になつて笑ひこけ、指さしをし、何か囁き合ひ、子供達は日頃馴染めなかつた大人達がこんな風変りな恰好で歩くのを見てすつかり有頂天になり、わいわい云ひながら行列につきまとつていた。しかしながら、神官達の方にも案外な度胸ができていた。お揃ひの恰好といふ点だけでなくとも、かういふ風に観物にされるのは一人ではなかつた、誰しも忍び笑ひから免れることはできない。その意識が今や共通した一箇の仮面のごときものを与へ、まさにそれが行列を形造つていたのである。どういふものか、誰もが皆生真面目な顔をしていた。小谷には紙ながら衣冠束帯がよく似合つていた。が、誰よりも一番似つかはしかつたのはあの老来なほ矍鑠くわくしやくとした端正な鍵屋の隠居、神原直造であつた。恐らく疲労からであらう、彼はさつきからにこりともしていなかつたが、それがなほのこと一種の威儀を具へるのに役立つた。臆病げに伏目になつた堂本と背の低い痩せた庄谷には、衣裳が大きすぎて、何だかばくばくしていたが、二人とも大真面目だつた。(千光寺さんだけは代りに寺男が出た)そして、徳次でさへ、あのきよろりとした眼で方々を見ることなしに、口ももぐもぐさせずに固く噤つぐみ、そのために突きとがらせた風になつてはいたが、やはり正面を向いてゆつくりと行列の歩調に合せて歩いた。

    柳里恭りゅうりきょうの『雲萍雑志うんぴょうざっし』のうちに、こんな話がある。

    だが、当の大石医院へ行くまでに何軒かの家に寄り、何人かの男に会つて口を利いている間に、房一は或る気持の変化を感じはじめていた。それはかうだつた――彼は自分の生れたこの土地については、一から十まで知つているつもりでいた。河原町といふものが、そこに住んでいる人達が漠然と一かたまりになつて、云はば机の抽出に蔵ひこんである手帖のやうに、すぐその所在を確められるものとして感じられていたのだが、今日はじめてその一人一人にあたつてみると、今まで考へていたものとは可成りにちがふ何かしら別のものが思ひがけない感じで房一の顔を打つた。云つて見れば、彼は河原町の住民になつたのを感じた。これにくらべれば、彼が今まで感じていた河原町そのものは単にその外形であり、彼はこの町の住民ではなかつたとさへ思はれるのであつた。

    喜作はふりかへつた。そこへ房一も登りついた。三人は瞬間顔を見合せた。そこに、房一は自分よりは二つ三つ若い、だが禅坊主のやうな頭骨をした精悍な表情の神原喜作を見た。

    房一はいくらかつんぼの道平の耳に口を寄せて、大声で云つた。

    「よろしい。承知した」

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