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    房一はふと自分に返つて訊いた。

    一わたり済むと、練吉は最後にもう一度注意深く病人の顔をぢつと眺め、

    坂を上り切ると、路はしばらくごたごたした小山の裾を曲り曲りして、やがて房一の乗つた自転車が心持下り勾配こうばいのために次第に速力がついた頃、突然前方に平地が開けて来た。それは河原町から急坂の路を見上げたときに上方にこんな場所があらうとは想像もできなかつたほどの、明い、開濶な平地だつた。房一は一瞬、路をまちがへて全然見当ちがひの所へ出たやうな気がしたほどである。

    「高間さん、ひとつ何とかして引上げさせて下さい。このまゝでは――」

    はじめて往診に行つたときの相沢の濁だみ声が耳に蘇よみがへつて来た。それから、あの粗末な黒い上着と、カーキ色の目立つ乗馬ズボンと、又あの鼠を思はせるやうな黒味の拡がつた、ちつとも目瞬またゝきをしないふしぎな眼玉とが、房一のつむつた瞼の中に現れて来た。

    市造は医者だと知つてすぐに起きなほつた。そして、房一が折鞄の中からまだ真新しい聴診器をとり出すのをたゞ無意味に眺めていた。誰に似たのか、市造は恐しく輪郭の整つた顔立ちだつた。あまりきつちりしているのでどこか寸がつまつて見え、硬い大人の面をかぶつた子供といふちぐはぐな感じにも見えた。たゞ、眼だけは紛れもない父親ゆづりの黒味のひろがつたあれだつた。

    「どこだ、どこだ。もう消えたのか」

    「はあ、なるほど」

    「どうも遅くなりまして――」

    と、鬼倉はすつかり他意のない様子で答へた。

    「さう。――いゝやうだ」

    房一には連れが二人あつた。

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