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    ふたたび相手の鞄にちらりと目をやりながら、練吉は半ば信じない風に訊いた。

    河原の端にある高い築堤の上で、白い割烹着かつぽうぎを着た女が、口に手をあてて何か叫んでいた。

    やゝあつて徳次が訊いた。

    と、房一は小谷に向つて訊いた。

    「どういふことです、わたしにはさつぱり――」

    その筈だつた。庄谷と房一の家とはかなり前まで遠い縁つゞきであつた。房一の死んだ母親と庄谷のやはり亡くなつた妻とは又従妹か何かにあたつていた。だが、さういふ程度の関係は知らぬ顔をすれば他人で通る位の間柄である。生前にも別につき合ひはしていなかつた。まして、二人ともこの世の者ではなくなつた今では、思ひ出せばさういふこともあつた、位の関係でしかない。

    「鮒?――それあ喰べるとも」

    その様子で、房一は今は隠れもない大石家の内部のごたごたを思ひ出したので、いさゝか間が悪いと云つた顔をしていた。――練吉の妻の茂子は、九月に入つてまもなくぶらりと大石家へもどつて来た。それは一日か二日姿を消していた飼猫がふたゝび舞ひもどつて来たやうな工合だつた。さういふ様子は茂子自身にあつたばかりでなく、大石家の老夫婦にもあつた。が、どういふはずみからか、今まで何年かその気配もなかつた茂子には、十一月に入つた頃から妊娠の兆候が現れた。万事投げやりだつた練吉にも意外だつた。そして、老夫婦と茂子との不和に気を腐らせていた彼は、これが案外緩和剤になるかもしれない、と考へたところが、それを聞いた老夫婦はちよつと眉を動かせたきりで、云ひ合はせたやうに黙つていた。多分、老寄としよりに特有な気の廻し方で、茂子に実子ができれば継子である正雄に対する愛がうすらぐとでも考へたものだらう。この気持は当然茂子に反映した。それに、彼女のつはりは重い方だつたので、さういふ状態で老夫婦と同居しているのは以前よりも辛かつた。で、今度は両方の公然の申し合せで、身体を休めに実家へしばらく行つていることになつた。房一が見かけたといふのは、茂子の帰るところである。

    練吉の口振りが意地の悪いものだつたにかゝはらず、今泉はむしろ話のきつかけを得たことを喜んでいる風だつた。

    練吉若夫婦は診察所の二階を居部屋にしていた。そこと正文夫婦の住む母家おもやとの間には一見して判る気風の相違が現れていた。正雄はそこへ近づかないやうに云ひふくめられていた。

    犬は横へとびこんだ。だが、匂も嗅がず、草の中から頭を出して、房一の方をしきりと眺めながら同じ方向に歩いている。

    「どこだ、どこだ。もう消えたのか」

    と、房一はほつとした面持になつて云つた。

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