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と、鬼倉は意外に思つたらしい。小首をかしげていたが、
けれども、ヌルい湯に長くつかっていることは、頭を鎮静させ、時空を忘れた茫々たる無心にさそいこんでくれる。うちの湯殿には灯がないので、ほかの部屋からの光で間に合せ、かすかに光のさす湯槽では、まったく、仮睡状態になるときがあった。インシュリンや電気ショック療法のなかった一昔前の精神病院では温浴療法というものをやったそうであるし、ヌル湯の湯治場では、精神病に卓効ありとあるのが多い。それは、しかし、私の場合のように、こんなに湯の温度に同化して長い時間仮睡状態にふけることができたら、と、註釈が必要ではないかなどと考えた。
庄谷はあの冷笑するやうな白眼で、物好に訊きたがる人に答へた。
そこへ降りた時から徳次はもう帯をほどきはじめて、肩にかけただけの衣物を着茣蓙きござのやうにはたつかせながら、誰憚ることもなしに大股で歩いた。日にぬくめられた石ころからは、生暖い、乾いた空気が立ち上つて、足から胸へつたはつて行き、それから思ひがけないときに頬のあたりにぱつと快く触つた。前方には河水のきらめきがあつた。その向ふには草に蔽れた崖地があり、その稍やゝ高味を路が走つていた。そこは滅多に人が通らないところである。たゞ日に一二回、徳次にとつては商売仇である荷馬車の列が、ゆるい、だるい車の音をたてながら、馬は眠たげに首を前に垂れながら、そして挽子ひきこは手綱をどこへ抱へこんだのかと思はせるやうに腕組みをしながら、その崖上の路を地勢に沿つてひよいと見えなくなつたり、又現れたりしながら通つて行くのである。たまに自転車が通つた。それは音がしない。それから何の行商人か、箱を背負つて、紺の脚絆をはいた足をかはりばんこに前に出して歩くのを、こつちから見ると、何てまあ面倒くさいことをして歩くんだらう、あんな風にして一体どこまで行く気なんだらう、と思はせたりした。それも、わざわざ気をつけてでもいないかぎりは耳にも入らないし、目にも入つて来ない。在るものはただ、ゆるい野放図な空気、どんなに踏んぞりかへつても喚いても、たゞすつぽりと包んでくれ、身軽るにさせてくれる空気だけだつた。
正文はその傍に近づきながら、他の用事で来たついでのやうに云つた。
房一の魚籠びくをのぞいて、盛子はびつくりしたやうに叫んだ。
こんな風に「円い」――のだらうか。いや、それはどうでもよかつた。盛子はそこに房一を感じていた。それは房一の醜い他の部分を忘れさすに足るものだつた。
「それで――?あゝ」
「あれから――あんたに鮒をとつて上げようと思つて、今さつきまで淵に附いとつたんだが、たつたこれつぽちきり獲れなくてね。上げるといふほどの物ぢやないけんど――」
「ほゝう!」
それは直造が案内状を出す間際になつて心づき、入念に考へたあげくに呼ぶことにした高間房一だつた。
「うむ、判る?――ね?」
が、それは徳次であつた。
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