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と、云つた。
そこには一人の男が顔を手拭で蔽はれたまゝ、一種普通でない様子で寝かされていた。手拭の下からは赤黒く汚れた額の一部と、土埃にまみれた頭髪とがはみ出していた。その傍には、やはり印袢纏着の真黒い顔の男がついて、ぽかんとして戸外を眺めていた。
だが、やつぱり戻らないで、しきりとこつちを見ながら行く。
房一には間もなくそれが雑貨店の主人である庄谷だと判つた。だが、庄谷の方では房一が二三間の所に近づいてもまだぢろぢろ眺めていた。
房一はその「ごとき」といふ箇所にわざと力を入れながら、つゞいて、今夜の席に招かれたことを謝し、甚だ不本意ではあるが止むを得ぬ所用があるので途中から退席させてもらひたい、と述べた。
私が寐る前に入浴するのはいつも人々の寝しずまった真夜中であった。その時刻にはもう誰も来ない。ごうごうと鳴り響く溪の音ばかりが耳について、おきまりの恐怖が変に私を落着かせないのである。もっとも恐怖とはいうものの、私はそれを文字通りに感じていたのではない。文字通りの気持から言えば、身体に一種の抵抗リフラクシオンを感じるのであった。だから夜更けて湯へゆくことはその抵抗だけのエネルギーを余分に持って行かなければならないといつも考えていた。またそう考えることは定まらない不安定な、埓らちのない恐怖にある限界を与えることになるのであった。しかしそうやって毎夜おそく湯へ下りてゆくのがたび重なるとともに、私は自分の恐怖があるきまった形を持っているのに気がつくようになった。それを言って見ればこうである。
正文はそれきり黙つた。だが、練吉の妻はまだそこに片手をついたまゝ、何か答へを待つやうに老医師の方を向いていた。その眼には何か訴へるやうな非難するやうな色が見えた。正文はふと気づいた。
と、房一は訊いた。
「ところがね、大石さんの銃は、あれはマネスターと云ひましたかね、あのマネスターは立派なんだけどなあ。そのわりにあたらないもんですね」
「なにぶん山の中でございますから、折々にこんなことがございます。」
河原町では、山車だしや仮装行列のほかに、夜に入つては提灯行列が出たし、町の上手にある神社の境内では奉祝の花競馬も行はれ、射撃大会まであつた。競馬の行はれた境内は不断殆ど人気のない所で、そこには永い間風雨にさらされて木口こぐちがすつかり灰白色になつた大きい拝殿がゆるんだ屋根の端を高いところで傾けていた。そこには紅白の幕が張られた。走路は拝殿のわきのかなりな池の周囲に造られたが、所々に笹を立て、それを荒縄でつないだだけで、方々から集つた馬は大抵胴がいやに太くて足の短い、腹や胸のあたりにぼさぼさした毛の生えた代物だつたが、わきに外それやうとする馬は周囲を黒山のやうに囲んだ見物人達の喚声と棒切れとで又内側へと追ひこまれ、池の中にはまりこみ、泥まみれになつて走つたりした。拝殿の観覧席には相沢知吉の顔が見えた。彼の持馬も出場したのである。相沢は例のカーキ色のズボンをはいて来たが、馬には乗らずに牽ひいて来たのだつた。見ただけでのろまな在馬ざいうまにくらべると、相沢の馬はずば抜けていた。かなり遠方からやつて来たといふ栗毛の馬と競せり合つたあげく、相沢の馬は優勝を獲かち得て、賞品の幟のぼりと米俵とを悠々と持つて行つた。射撃大会は猟天狗仲間が河原に集つてクレーの射撃をやつたので、これには大石練吉が自慢のマンチェスターの銃を携へて出席した。発条ばねが跳ねる、とクレーはちやうど山鳥か何かが飛び立つかのやうに、ゆるい弧を描きながら青空に投げ出される、その瞬間、射手は腰のあたりに構へた銃をすばやく肩に引上げ、パンといふ音が響き、クレーは微塵に砕け散つた。が、大半は遠く河原の上に落ちてそこで砕けたやうであつた。後で格別噂が立たなかつたところを見ると、練吉は不成績だつたのだらう。
うまい工合だと感じた房一はすかさず云つた。
「いや、危険はまづない見込だ。だが、何と云つたらいゝか――」
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