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    「はあ、どうも」

    その時、ふいに或る戸口から一人のひよろ長い男が、一度敷居につまづいてそのはずみで飛び出した工合に、明い路上に出て来た。帯がほどけてる、と見えたが、さうではなかつた。あんまり着物の前がはだかつて、したがつて腰から後裾にかけて長く引きずつたやうになつていたせいだらう。

    「はあ!さう――ですね」

    練吉が元の座へ帰つてゆくと、房一はぽつんと一人とり残された。来客達の大半とはすでに顔見知りだつたにかゝはらず、今夜の席では房一は唯一の新顔だつた。

    で、この間に、いくらかそゝつかしいところのある、換言すれば、済んだことにはあまり気をとられない現実的な気質の房一は、たつた三十分前に盛子から聞いたときのあの驚きを忘れていた。一先づ用は片づいた。今日は別に往診もなかつた。で、かういふときの癖で、彼のあのはまりのいゝ廻転椅子に身体をうづめ、ぼんやりとした考へに落ちたのである。

    「ふむ、もうよろしい、よろしい」

    練吉は一人で感心し、それでも足りないと見えて、房一に呼びかけた。

    「ふうん。ひどい奴だねえ」

    「あいつももう仕かたがないのですよ。『青ペン』通いばかりしているのですから。」

    「坑には入つてみたんかね。あすこはもう何年も入つた人がないちふことだが」

    もともと口下手ではあつたが、まだ舌がもつれる風で、一口ごとに息をついて云つた。

    正文はそれきり黙つた。だが、練吉の妻はまだそこに片手をついたまゝ、何か答へを待つやうに老医師の方を向いていた。その眼には何か訴へるやうな非難するやうな色が見えた。正文はふと気づいた。

    宿の者はこういっただけで、その以上の説明を加えなかった。伊助の報告もそれで終った。

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