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    「ごめん下さい」

    初めて胎児が動いたとき、何といふ快い驚きだつたらう、何といふ不思議な、又微妙きはまるものだつたらう。その生命に独特な閃くやうな動き、内側からかすかにお腹の皮をつゝぱるやうな気配がし、やがてふいにびくびくつとしたり、ひよつととまつたかと思ふと又はじめて、今度は一層力強く永くぐい、ぐい、ぐいとしたりする、そのうごめきはすでに完全な手足あるものとしての形を感じさせ、もう今から盛子に何かを要求し、甘えかゝつているかのやうであつた。

    「うむ、さうか。玄関のことか」

    「やあ」

    御大典とそれにつゞく奉祝日は瞬またゝくまに過ぎ去つた。

    云ふなり又思ひ出したやうに玄関へ上つて行つた。

    「どうしたんですの?何かあつたんですか」

    対島つしま沖で日露海戦が行はれ、敗残艦の一部が日本海沿岸のこの地方の沖合までのがれて来て沈没したのは十年ほど前のことである。乗員は白旗を掲げてボートに分乗し、沿岸の砂浜に着いた。その前、海戦の最中には海岸附近の人家の障子が断続的にとゞろく砲声で鈍く不気味に響きつゞけた。もとより海戦が行はれていると知るわけもないので、たゞ漠然と不安だつたが、その気分の抜け切らないうちに、たとへ白旗を掲げているとは云へ突然現れたロシア兵達の姿に、海岸の住民は一時かなりびつくりしたものである。間もなく近くの兵営から軍隊が駆けつけて、それ等の投降兵を吉賀町附近の寺院に一時的に収容した。彼等がそこにいる間、附近の人達は毎日弁当持ちに草鞋わらぢばきで押すな押すなで見物に出掛けた。その当時、徳次は二十前の若者だつた。

    「徳さんが新しいのを掛けてくれるまで待つていた方がいいかもしれませんね、これは」

    又とぎれた。

    「をかしいから笑つたのだ」

    小谷の店では実にあらゆる品を売つていたが、その中には僅かだが薬品類もあつた。したがつて、高間医院は小谷にとつて多少のお得意先でもあつた。今では、小谷は心易立てに注文のあつた薬品を「店主自から」ぶらさげて房一の所へ持つて行き、そのまゝ話しこむやうになつている。

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